日本伝統の羽子板が世界へ

最終更新日 2025年3月27日 by edgea

⒈羽子板の伝統

羽子板の起源には諸説ありますが、最も古い記録では鎌倉時代に刊行された書物の「下学集」に「正月に羽子板を用いた」という記述があるのがはじまりです。

当時は又の名を胡鬼板と呼ばれ羽根を蚊に見立てて胡鬼子と言い、板は蚊を食べる蜻蛉に似せて作られていました。
蚊が疫病や厄介ごとを運んでくると思われており、蚊を表す羽根を蜻蛉を表す板で叩く遊びを子供にさせることによって厄祓いをして無病息災を祈っていました。

この頃から正月になると女の子に魔除けとしてプレゼントするという習慣が定着し始めます。
もうひとつの説は7世紀頃に宮中で行なわれていた毬杖遊びが元になっていたという説です。

(参照):手作りの羽子板

先端がヘラのように作られている毬杖を使って毬を打つ遊びが貴族の嗜みでしたが、これが時代と共に普及や改良をされていく過程で羽子板へと変化したと言い伝えられている地方もあります。

桃山時代から江戸時代になる頃には背面に絵を描いた飾り板が登場し、花や景色などの美しい装飾をはじめ、鮮やかな布を組み合わせて型で押して接着することで立体感のある造形を作り出す押絵の技法が誕生し、歌舞伎役者などをかたどったものが多く出回るようになり、売上によって人気度を測るバロメーターとなっていました。

江戸時代の中期から後期になる頃には魔除けという意味合いはだんだんと薄れ、これまでの宮中や富裕層の嗜みだったものが芸術品や遊びの道具として庶民の間でも普及し始めます。

井原西鶴の「世間胸算用」という書物にも江戸の市場で正月用の玩具と一緒に売られていたという記録が残されています。
その後、羽根の玉は「子供が病気を患わない」という意味の名前を持つ無患子の木の種を使うようになり、それを板で突くことにより厄祓いがされると言われています。

工芸技術の発展から金箔や銀箔を散りばめた高級品やさまざまな装飾を施した製品が登場したことから一大ブームを巻き起こしますが、放置しては人々の心の中に邪念や穢れが生じるには由々しき事態だとし、幕府が華美なデザインのものを製造販売することを禁止したり、製造に制限をかけたことからも当時の大フィーバーぶりを窺い知ることができます。

文化、文政年間に入るとさらに技術は進み、押絵により人気俳優を模した製品が流行し、明治時代に入ると工業化が進みより高度な装飾や大量生産も可能となりました。

⒉江戸押絵羽子板が東京都により伝統工芸品に指定される

現代では遊戯にしようするものと装飾用のものが生産されており、2018年2月にはある日本企業がアメリカで試験販売を実施したところ大好評となったため、本格的な輸出も計画されるなどグローバルな世界でも認知されています。

また、独自の製法を持つ江戸押絵羽子板が東京都により伝統工芸品に指定され、ますますその価値を高めています。
毎年12月17日から19日までは浅草寺において室町時代から続く羽子板市が開催されており、国内外の数多くの観光客が訪れます。

こちらでは地元東京だけではなく名産地の埼玉県春日部市とさいたま市岩槻区の職人たちも参加して自慢の品を展示販売し大いに賑わうのに加えて、「人形は顔が命です」でおなじみの人形の久月がその年に話題になった人物をモチーフにした変わり羽子板が出展されるのも人気です。

東京の伝統工芸品に指定されるには厳しい基準が設けられており、まずは伝統的な技術・技法で作られてることが条件です。
装飾に用いられている押絵作りは型紙と布地の間の綿を入れてコテで熱すると溶けて接着剤の役割を果たし、顔を描く技法の面相描きでは上塗り糊粉で表面を滑らかにした後で専用の面相筆を使って目・鼻・口を描きます。

最後の組み上げでは押絵の終わった各分を裏側から和紙を用いてコテで丁寧に糊付けをして仕上げます。
伝統的に使用されている原材料も求められ、樹脂や接着剤、塗料など現代の素材を用いた場合は指定の対象にはなりません。

板に使用する用材はキリ、押絵に使用する布地は絹織物または綿織物とし内部は綿であるのに加えて押絵で描く人物の髪の部分に使用する糸は絹糸と規定されています。

現代では装飾目的以外にも女の子の赤ちゃんが生まれてから初めて迎える初正月を祝い、祖父母や親戚、知人などが健やかな成長を願ってプレゼントする風習が残っています。

頂いた板は毎年早ければ12月中旬頃から飾り、お正月を迎えると板を下さった方を招いてお食事やお酒を振舞ってもてなします。
1月15日頃には板をしまいますが、これは神社などで不要になったお正月飾りなどを焼いて供養するどんど焼きなどが行なわれる時期であるのと同時に、正月気分を終えて新しい年を始めるために気を引き締める良い時期です。

その起源には諸説があるものの歴史の流れの中でアレンジを加えながら現代にも残されている文化として多くのご家庭で親しまれているのはもちろんのこと、間もなく海外でも大々的に販売され日本が誇る伝統のものづくりが世界に紹介されようとしています。